ただの自分語りです。
3月5日は結婚記念日でした。
今年で10年です。
我が家の場合は、・・・テレビが騒いでくれますので。何年目とか計算するまでもないです。
そして節目の今年。
なんとなく、お祝いするというよりは、じっくり思い出などを話して過ごす方が、
良い気がして、特別なことはしませんでした。
3月5日。10年前は土曜日でした。
結婚式は箱根で!
とてもいい天気で。富士山も良く見えました。
私も細かったんですよ~~~!もうこんなの絶対着れない。いろんな意味で。
地震は、週が明けた金曜日におきました。
・・・我が家の歴史は震災と共にスタートでした。
とはいっても、直接的な被害を幸いにも受けておらず、少し帰宅に難儀しました、ということくらいなのですが。
節目となる日ですし、ここに、ほんの少しだけ記録しておきたいと思います。
●あの日
ミーティングが紛糾してホワイトボードにいろいろ書き込んでた最中に揺れました。
勤務先は、レインボーブリッジがよく見える湾岸エリアにありまして。
地震が起きてしばらくした後も・・・外に避難した人がしばらくうちのビルを見つめてました。
幅の広いビルなんですが、ゆら~~~っと前に後ろに揺れてたみたいですね。
すべての電車が止まってしまい。
仕方がないので、会社に泊まる決断をしましたが。
幸いだったのが、夫も当時同じ会社・同じフロアだったこと。
遠くの方にヒョコっと頭は確認できたので、安心でした。
しかし、あんな時でもレストラン開いてるんですよね。
夫と夕食をオフィス街のレストランで取りましたが、普通に店員さんがいつも通りのサービスを提供する現実感のなさ。
余震の続く中、オフィスにとどまりましたが・・・あまりできることはないわけで。
・・・結局何してたかというと、私はコーディング(プログラムを書くこと)をしていましたね。
決められた期限は来るのかどうかは不明でしたが。
…そして、何とか動き出した地下鉄に乗った明け方4時。
4時なのに、超満員のラッシュでしたが、、、
あんなに、異様な緊張感と連帯感と、そして静かな満員電車は初めてでした。
みんなが耳を澄ましている感じです。
家に着いたのは朝。2駅先から徒歩で帰宅しましたが、疲れ果てて泥のように眠りました。
そして、起きたらテレビの中はとんでもないことになってて。
え、ちょっと意味わかんない。。。とつぶやいた記憶があります。
それが我が家の3月11日でした。
●それからの日々
地震後、もう日本はどうなってしまうんだ~~~!と悲嘆にくれましたが。
被災地から遠く離れた私の居住地では、・・・半年もたってしまえば、あっさりと日常が帰ってきました。
時の流れってある意味すごいですよね。残酷なほどに。
全く忘れられなかろうが、なんだろうが、あっさりと時が流れちゃうんですよ。
この10年は・・・私の人生においては、ほんと激変・激動でした。
結婚、地震、妊娠出産休職復帰。ふたたび、妊娠出産休職復帰。
特に子供が生まれてからは、ご飯作って食べさせて送り出して迎えに行ってご飯作って・・・
それだけをひたすらにくりかえしてたら・・・なんだか子が2人大きくなりました(笑)
最近こそ、そこに、荷物積みこんでテント立てて、焚火して、撤収して・・・ていうのが加わりましたが。
特別な一日も、何にもできなかったとおもった一日も、ひたすらに積み重ねて10年。
・・・すごい早いですね。ほんとに。
ちょっとあっさりと流れすぎちゃいました。
自分語りにひたってたら、日をまたいでしまいまして、もう3月11日となりました。
多くの人が、10年前に思いをはせて、そして、大切な方をなくされた方は、その痛みと向き合うんだと思います。
かける言葉は、私は何も持ち合わせていませんが、
ただ、少しだけ10年をふりかえり思うことは。
夫ももちろんですが、一緒にこの日々を歩んでくれる家族に感謝をしたいなあと思います。